Sail of the Lord Church(セイルオブザロードチャーチ)保育士ぴよこのブログ

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東京都足立区キリスト教の教会Sail of the Lord Church(セイルオブザロードチャーチ)に通う保育士、ぴよこのブログです♪

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今月は新しいことが始まったり、季節の変わり目で寒暖差があったりで疲れやすかったですが、そうこう言っているうちに六月も最終日を迎え、時の流れを感じています。

 

私は保育の仕事をしていた期間が一番長いですが、それ以外にも事務兼受付の仕事、販売の仕事をしていた時期がありました。

振り返ると、保育以外の仕事をしていた時は時間が過ぎるのがとても長く感じていました。

それだけゆったりした環境だったということですが、逆に保育の仕事は目まぐるしく、休憩時間もいろいろ作業に追われて過ごしていました。

 

そんな中で「これでいいのか?」と考えるようになりました。

「目の前の子ども達のことだけに追われている自分」を顧みて、視野が狭くなっていると感じました。

「この子たちが幸せに成長したとしても、世の中には病気の人、障害を持っている人、また虐待に遭っている人や貧困に苦しむ人など様々な人がたくさんいる。

自分が見ている世界は一部の光の世界に過ぎないけれど、どんな人も必要であり、助け合う社会を作っていくためにもっと視野を広げて考えないといけない。」

・・・と強く感動を覚えるようになりました。

 

そして決心して仕事を辞め、新しい資格の勉強を始めるようになりました。

障害児教育に関わる仕事も始めるようになりました。

 

今は世界の教育や心理学、犯罪心理など幅広く勉強しようと思っています。

新しい資格の勉強は課題が多く、またしても追われる日々ですが、新しい学びが多いのでとても新鮮です。

 

明日から七月に入りますが、勉強したこともブログで共有しながら今年の後半は知識も内面もレベルアップしていきたいと思っています♪

では今年の後半戦も頑張っていきましょう。

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「今」がそれぞれ完全体

保育士ぴよこです🐣

保育の仕事は外から見るとゆったり子ども達と遊んでいるように見えて、実はマルチタスクな仕事だなぁ、とよく感じます。

学生の頃、授業で「子どもを見る時は背中にも目をつけないといけない」と言われて「えぇーっ!」と思いましたが、保育の仕事を始めてから、この言葉の意味がよくわかるようになりました。

保育の仕事は、サッカーやバスケットボールの試合に似ていると感じます。

自分の後ろで攻撃されてしまうことがないように、自分が常に敵と味方とボールが見える位置に動かないといけない、この点がよく似ています。

「背中にも目をつける」ということは常に自分が全体を把握できる位置に動くこと、そして背後にもいつもアンテナを張っておくことだと保育士として長く働く中でわかるようになりました。

 

さて、私は元々マルチタスクのタイプではありませんでした。

一つのことを頼まれるとそれだけしか見えなくなってしまう人だったため、失敗は数知れません。

そして「私は一つのことだけをやるような仕事の方が向いてるんじゃないかな」と考えたこともたくさんありました。

 

しかし、保育の仕事をする中で、本来持っていた個性が開発され、マルチタスク能力が上がったと感じ、感謝しています。

そして、いろんなことを同時に見れるようになってから、子ども達の様々な個性や才能、発達段階についても余裕を持って見ることができるようになりました。

そして、それぞれの子どもの良さを見つけていけるようになりました。

 

ある保育士さんが「最近は子どもの成長を見る時、自分の理想像を100点にして、そこから足りないところを教育することが子育てだと思っている人も多い。でも子どもは欠如体ではない。子どもはその時その時が完全体だ。」と話していました。

まさにそうだと思っている言葉ですが、これは子どもだけではなく大人同士もこのような視点を持って関わることが大事だな、と思いました。

新入社員や後輩を指導する時「ここまでできるようになってほしい」という目標設定をすることは大事だと思います。

でも目標に対してできていないところを指摘するのではなく、できるようになった部分を認め合う社会になれば、もっとみんなが気持ちよく働けるのかな、と思いました。

 

私は一般企業のことはよくわかりませんが、少なくとも私はどんな人に対しても「その時精一杯頑張ってきた現状」を認めて、伸ばしてあげる人になりたいと思います。

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真実な心で

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雨が続いていますが、雨のおかげで植物や野菜が育ち、水は人体にも必要不可欠なので恵みの雨だと感じています。

 

さて、数年前に友人が「最近の野菜は食べやすいように品種改良されてるせいで味が薄くなって『水っけ野菜』とか言われてるのを聞いたんだけど、最近の子ども達は個性が薄くなって『水っけ子ども』だと思う」と言っていたのを思い出しました。

その時は移動中ですぐ目的地に着いたこともあり、この話はすぐ終わったのですが、それから時々このことについて考えていました。

最近の子どもは個性が薄いのか??

 

私なりに考えた答えは、最近はメディアが発達した影響で「本音を表に出さない」のが一般的になってしまっているのかな、と思いました。

でももし本当にそんな社会が一般的なのだとしたら、それはとても寂しいことだと感じます。

 

とは言う私自身も本音を表すことがとても苦手でした。

様々な過程の中で克服させてもらいましたが、今日は一つ演劇を通して克服させてもらったエピソードを書きたいと思います。

 

教会の中にセミプロの劇団を持っている方がいたのですが、その方がその劇団とは別に教会で「人材育成のためのアマチュア劇団」を作っていました。

自己表現できるようになりたかった私は、そこに入れてもらいました。

公演は年に数回、身内で小さな会場でする程度でしたが、練習は毎週あり、ストレッチや発声などと共にアドリブの寸劇を毎週やっていました。

アドリブなので自分が蓄えているものの中からしか、セリフを出すことができません。

この状況の中でたくさん鍛えられ、育てられました。

寸劇は二人一組で行ない、始めのセリフのみ決まっていて後は自分たちで起承転結を繋いでいくという状況でしたが、面白い作品が毎週たくさん生まれていました。

 

この劇団の指導者の方がよくおっしゃっていたことが

「真実な言葉だけが人を感動させる」

でした。

建前ではない本音の言葉、本心から出る言葉が人の心を打つのだということを、身をもってたくさん感じさせてもらいました。

 

今の世の中は情報社会、デジタル社会ですがいつの時代でも本音で、真実な心で人と人が関わっていくことが大事だと感じています。

そして、人の成長、発展には「感動」が必要だと感じています。

私自身もいつも「感動すること」を大事にし、いつも「真実な言葉」で人に接していきたいと思います。

差別について考える

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最近はアメリカでの人種差別問題から、日本でも東京、大阪で1000人超のデモ行進が行なわれたことがニュースになっています。

アメリカでの人種差別は昔の奴隷文化から続くとのことで、文化になって長年考えに染みついたものを変えるのには時間がかかるのだな、と感じています。

もちろん私も、人種差別には反対です。

 

私はこの問題とは別に、一年程前から「多様性を認め合う社会の実現」について考えていました。

日本国内において自殺、いじめ、少年犯罪、虐待・・・と子ども達の悲しいニュースが続き、なくしていくにはどうすればいいのか?と考えをめぐらせていました。

これまでもこういう問題をなくしたい、とずっと考えていましたが、どこか他人事だったところから自分事として考えるようになりました。

これまでは自分の身近な人、大切な人がこういう問題から守られればいい、と考えていましたが、根本的になくしていかないと自分にも、大切な人にも影響がある問題だと捉えるようになった、ということです。

 

いじめや犯罪、虐待、差別・・・全て根本は愛の問題です。

愛に傷があるから他の弱者を攻撃することで承認欲求を満たそうとしていることが多いです。

 

誰しも傷はあると思います。

何の問題もなく大人になったら痛みのわからない人になってしまうので、傷を負うことも時には必要だと思います。

私も様々な経験の中で傷を負っていました。

そして、「人間はみんな本音と建前で生きている。

だから本当の善人なんていない。

他人は皆人を蹴落として一番になろうとしている。」

とひねくれた考えをしていました。

 

そんな中で教会の人と出会うようになりました。

教会の人たちはよくしてくれましたが、心の内では偽善だろうと思っていました。

ある時、教会の人とバレーボールをする機会がありましたが、ミスをたくさんしてしまい、帰り道落ち込みながら歩いていました。

その時、ある先輩が「車に乗りなさい」と私に言いました。

私は始めは断りましたが「いいから乗って」と続けて言うので、仕方なく乗ることにしました。

数人が車に一緒に乗り、駅まで行くのかと思いきや、別の方向へ。

しばらくすると、近くに住んでいる教会の友人の家に着きました。

驚く私に「入りなさい」と促され、中に入ると私の誕生日祝いが準備されていました。

この時に、「何かができるから大事にする愛」ではない無条件の愛を感じて、感激したことが思い出深いです。

やはり愛の問題は愛でしか解けないのだ、とこの時強く感じました。

 

そしてこのことが私にとって、真実に相手のことを考えられる人に変わるきっかけを与えてくれました。

全ての問題が愛で解けるよう、私ももっと愛を示す人になりたいと思っています。

そして、子ども達には「みんな違ってみんないい」を体で教えてあげられるエリオット先生のようになりたいと感じています。

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「怒り」について

雨の日が続き、つい1,2ヶ月前の春の日が懐かしく恋しく感じる今日この頃です。

 

さて、前回に続き「怒り」について書いていきたいと思います。

怒りとはそもそも、理想と現実とのギャップが生じるために起こります。

 

産まれたばかりの赤ちゃんにも「快」と「不快」の感覚はあるのですが、「快適でありたい」理想と異なる「不快感」から赤ちゃんも泣いて怒って表現します。

つまり、「怒り」は最も基本的で初歩的な感情であると言えます。

この「怒り」があることによって敵や悪いものから守ることができる防衛本能とも言えます。

 

子どもと接する時はもちろん、他にも家族と接する時、友人や同僚、上司や部下と接する時・・・理想通りにならないことがほとんどです。

理想は考えるだけで勝手になされるものではないからです。

 

これまで戦後75年で日本がここまで発展してきたのは、人々が理想を求めて協力し合って努力してきたからであると感じます。

理想を実現するためには、「理想を思い描く」だけではなく、「実現に向けてぶつかり合いながら努力する」過程があってこそ、なされるのだと感じます。

 

再び「怒り」の話に戻りますが、理想と現実のギャップが生じた時、怒ることで感情の発散にはなりますが、解決につながるわけではありません。

相手の態度や行動に対して怒ることは、せっかく高い理想的な考えを持っていたはずの自分が相手と同じ土俵に下りてきてしまうことだと感じます。

 

なので、いつも「理想への希望」や「考えの軸」をしっかり持って、周りの環境や行動との間にギャップが生じたとしても、揺らぐことのない軸を持って相手に接することが大事だと感じています。

 

そして、怒っている相手と接しなければいけない場面でも、自分が同じ土俵に下りず、遠くから俯瞰する目が必要だと感じています。

怒っている人、怒鳴っている人は防衛本能として苦しさから自分を守ろうとしています。

なので、「悲しいんだな」「失望しているんだな」と相手の感情を俯瞰して受け止めることが大事なのだと感じます。

 

自己表現が苦手な日本人だからこそ「怒り」という形で感情が爆発してしまうことも多いと思います。

そんな時でも、ブレない自分の「軸」を持って、みんなが相手を認め合う心で接することで愛の世界が広がっていくことを願っています☆

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「怒り」と「感謝」

保育士ぴよこです🐣

私は未婚で子どももいませんが、職業柄子育てや教育に関するニュースや本などの情報は入手するように心がけています。

 

さて、最近ビジネス業界で注目されている「アンガーマネジメント」というものがありますが、子育てにおいても注目されています。

アンガーマネジメントとは「怒りを管理する」、つまり自分の怒りのタイプやパターンを予め把握して、怒りの感情が爆発する前にコントロールできるようにする、というものです。

私自身「アンガーマネジメント」が苦手だったのですが、克服するようになった経緯を書いていきたいと思います。

 

私は「怒りが爆発してしまう」のではなく、喜怒哀楽すべての表現が苦手でした。

日本人ゆえの「奥ゆかしさが美徳」という感覚が染みついていて、自己表現は全般的に苦手としていました。

 

そんな中、保育士として子どもと接する中で、自己表現しなければいけない場面は日々起こり、怒ったりほめたり試行錯誤していました。

始めはとにかく「悪いことに対しては怒らないと教育できない!」と思って、子どもにきつく叱ることがたくさんありました。

しかし、きつく叱った後は結局自己嫌悪に陥る日々。

 

こんな日々に疲れて、ある時「怒るのに余計なエネルギーを使うのはやめよう」と思うようになりました。

それからは「起こってしまったものは仕方ない」という気持ちで日々過ごし、心は楽になり寛容になりました。

この頃の私は事あるごとに「しょーがない、しょーがない」と言っていたのですが、ある時子ども達が「しょーがない、しょーがない」ばかり言っていることに気づきました。

それを見て

「これは寛容ではない。無気力だ・・・」

とはっとさせられました。

 

これも正しい方向ではないと思い、どうしたらいいかと思いめぐらせながら過ごしていたある日、気づかせてくれる出来事がありました。

教会の友人数人と集まって話していた時のことです。

ある友人が

「職場は給料をもらって受けさせてもらっている研修所だ」

という話をしているのを聞きました。

 

それを聞いて、私は「これが答えだ!」と感じました。

始めは「私が子どもを教育しなければ」と思って上から目線で接していたあの頃。

そして「子どもの見守りだけしよう」という無気力、受け身の姿勢だった頃。

これに足りなかったのは「日々子どもから学ばせてもらっている」という考え、能動的な姿勢だったと気づきました。

 

この考え方一つで日々の状況が180度違った世界に見えるようになりました。

子どものすることは毎日想定外ですし、時には子どもがわざと怒らせるようなことをして試してくる時もあります。

時には怒る時も感情的になりそうな場面もあります。

うまく接することができないこともたくさんあります。

 

でも、必ず自分の成長に必要だから与えられている状況であり、これを通してしか育てられないことがあるから学ばせてもらっている、と思うようになってから、失敗しても肯定的に考えて次に進めるようになりました。

 

怒りをコントロールすることも時には必要ですが、日本人は感情を抑圧し、建前で接することが多いと感じます。

でも、ただ抑えつけるのではなく、どんな感情にしてもその感情と向き合い、自分を見つめた上で真のアンガーマネジメントができることが大事だな、と感じました。

 

日々の様々な状況に感謝して前進していきたいと思います☆

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「ほめること」について

 

梅雨の前の猛暑が続き、熱中症が心配な時期になってきました。

夏を乗り切れるよう、体力をつけていきたいと思います。

 

寒さはある程度は着て対処できる部分もあるものの、暑さはどうにもならず、だるくなったり苛立ったりしがちだと感じます。

今日は暑さの中でも温かい言葉が溢れていくことを願って、「ほめること」について書いていきたいと思います。

 

そもそも私は「ほめること」も「ほめられること」も苦手でした。

ほめることが苦手な人には、大きく分けて3つのタイプがあるそうです。

★完璧主義の人

★ほめられた経験のない人

★ほめられた後に何か言いつけられたことがある人

 

私の場合は「完璧主義」ゆえの自信のなさから来るものだったと思います。

自信がないから「私なんかがほめても喜ばないんじゃないか」と余計な考えを持っていたせいで、ほめることが苦手でした。

 

しかし、これも保育の仕事の中で育てられたと感じて感謝していることの一つです。

保育士になったばかりの頃は、どんなことでも「ほめなきゃ~」と思って、よくわからなくても「上手だね」とか言っていました。

でもそれでは心がこもってないので、それが子どもにも伝わってお互いに気まずくなる・・・。

こんなことを繰り返していました。

 

そんな中、本を読んだりして自分なりに勉強する中で「無理にほめようとするのではなく、認めればいい!」と気づき、それからはとても気持ちが楽になりました。

子どもに対しても変なお世辞を言わなくなり、素直に「いろんな色で描けたね」「大きいのができたね」と気持ちをそのまま伝えることで気まずくなることもなくなり、気持ちの通うやり取りができるようになりました。

 

実は「ほめる」ことには「称賛」と「賞賛」の2種類があるということを最近知りました。

称賛:「いいな」と思ったことを言葉で伝えることで表現される。

→状況に関わりなく、自分がいいと思えばできる。

賞賛褒美や賞金、賞状を与えることで表現される。

→他者より優れているという状況がなければできない。

 

つまり、自分に自信があるかないかとか、自分の経験などは関係なく、「自分がいいと思ったことを素直に相手に伝えること」で好意や関心を伝えることが「ほめること」なのだと気づかされました。

 

自分の小さな気づきは、自分しか気づいていないものかも知れません。

その小さな気づきをお互いに口に出して伝え合うことで、「認め合う文化」「ほめる文化」が日本にももっと定着していくといいな、と願っています♪

 

温かい言葉が溢れる社会になりますように♥

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