Sail of the Lord Church(セイルオブザロードチャーチ)保育士ぴよこのブログ

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東京都足立区キリスト教の教会Sail of the Lord Church(セイルオブザロードチャーチ)に通う保育士、ぴよこのブログです♪

保育士の設置基準

学生時代に授業で

「教師は背中にも目をつけないといけない」

「全体と個をいつも意識すること」

と、常にクラス全体を把握しておくことの重要性が強調されていました。

 

保育士になって経験を積む中で、何かしながらも全体を把握するスキルが少しずつ身についてきたと感じますが、まだまだ把握できていない時もあるし、簡単ではないな、と感じます。

保育士不足が叫ばれ、給与面での改善はありましたが、「子どもを見る」ことの難しさからの保育士離れもあるのではないか、と感じます。

 

ちなみに日本の保育士の設置基準は以下になります。

・0歳児:3人につき保育士1人以上

・1~2歳児:6人につき保育士1人以上

・3歳児:20人につき保育士1人以上

・4歳児以上:30人につき保育士1人以上

 

これは保育士にとってはかなりキツイ人数ですが、実際規定ギリギリの人数で運営している所も少なくないと思います。

最近は一人っ子も多いのでケガをさせるとクレームをつける親も増えてきています。

また、発達障害も増えている(小学校30人中2人程度いるのが平均的と言われている)中で、大人数の子どもの責任を任されるのは負担が大きいと感じます。

 

では、国際学力調査で好成績をおさめ、「学力世界一」と言われるフィンランドの保育士設置基準を見たいと思います。

・0歳児:2人につき保育士1人以上

・1~2歳児:4人につき保育士1人以上

・3歳児以上:7人につき保育士1人以上

 

小学校も日本では40人学級に教師1人ですが、フィンランドは中学校まで1クラスの最大人数は20人、教師は2人だそうです。

日本では教師不足、教師離れも問題視されていますが、フィンランドでは教師は人気の高い職業だそうです。

 

私の友人にも小中学校の教師をしている人が数人いますが、毎日残業、休みの日もテストの丸つけ、部活動・・でとても忙しそうです。

それでもその友人たちは熱意を持って頑張っていますが、教師が生き生きと元気でいるためにも、子ども一人一人と向き合って接するためにも、今の日本の基準は無理があると感じてしまいます。

 

保育の環境はだいぶよくなったと感じていますが、未だ学校現場は厳しい実態のようです。

子どもの未来が国の未来であり、世界の未来です。

一人一人がのびやかに育つことのできる環境、教育現場が広がることを願っています。

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それぞれの価値

子ども達と接している中で、子どもが何か失敗した時や好ましくない行動や発言をした時、その子に対して「悪い子だ!」と子どもが言うことがあります。

また、「〇〇(自分)は悪い子じゃないよ」と言ってくることもあります。

そんな時は「みんないい子だよ。でも△△(好ましくないことや失敗したこと)は間違いだったね」と話すのですが、日本人は真面目さゆえに「悪いことは悪いと教えないと!」と思ってしまうのかな、と思います。

日本の昔話は善悪分立のものが多いのも日本人の特性なのかな、と思っています。

 

分断思考があるから「陽キャラ」「陰キャラ」と言うのかな、とも思うのですが、人間はそれぞれ価値があるし、何かの基準で人を陰、陽とか善、悪とか分断できるものではないと感じます。

 

「〇〇しないといけない」といった教育ももちろん必要ですが、大人の価値観をただ植え付けるだけで失敗した時に子どもが無条件「悪い子」として叱られると、感情の表出ができず、不満が心の中に鬱積してしまいます。

例えば「嘘をついた」「物を取った」などの好ましくない行動があったとしても何かしら原因があってやっていることだということを理解する心が大事だと思います。

「嘘をつく子は悪い。二度と嘘をつくな」と叱って約束させるだけでは、子どもは心を理解してもらえていないので不満が溜まり、次第に「ばれないように嘘をつく」ようになってしまうという悪循環まで起こしかねません。

 

私たち大人は仕事など生活の中で「~したい!」「嬉しいからやる!」といった感情や意思は横に置いて「~しなければいけないからしよう」といった思考のみで動くことが多くあると思います。

でも人間は感情、意思、精神が大事です。

なのでストレスや不満、また自分の希望といった横に置いていたものを時には表に出すことが大事だと考えています。

 

そして、子どもに接する時や何か伝える時に「あなたは悪い」「〇〇できていい子ね」と評価する言葉でほめたり叱ったりせず、私は自分の感情を伝えるように意識しています。

「~してくれて嬉しい」「ありがとう」と伝えたり「前回よりすごくよくなったね」と成長を認めたりすることが、子どもの心の成長にとって栄養になると感じています。

好ましくない行動については「~したら悲しい」と伝えると共に、「なぜそうせざるを得なかったのか」という原因を見つけて解くことが大事だと感じます。

 

子どもと接する中で大事だと感じるのは、「自分の感情にどれだけ素直でいられるか」「ありのままの自分を受け入れられているか」だと感じます。

自分を受け入れてこそ、相手(子ども)のありのままを受け入れることができるし、自分の貴重さをわかってこそ相手を大事にすることができると最近感じるようになりました。

まずは自分の心、感情に向き合い、皆が自分の貴重さを感じることで平和が広がっていくことを願っています。

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すべては愛で

保育士として働いていると毎年いろんな子どもと出会います。

それぞれ個性や家庭環境が違うので、マニュアル通りにいかないところが難しさでもあり、面白さだと感じています。

今までの保育を振り返ると、年々自分の保育経験や知識が増えていき、自分の見れる視野が広がるにつれ、子ども達のタイプも広がるようにしてくださったと感じています。

 

なので、保育経験の短い間に見ていた子どもは比較的落ち着いた子ども達でしたが、保育経験が長くなるにつれ、「落ち着きのない子」が毎年数人入ってくるようになりました。

この「落ち着きのない子」を見ていると2つのタイプがあることに気が付きました。

・好奇心旺盛で注意力散漫なタイプ

・家庭でスマホ漬けだったり、親が子どもの言いなりになっているタイプ

 

上のタイプの場合は親が手を焼きながらも子どもと向き合おうとしていることが多く、こういう場合は4、5歳になると落ち着くことが多いです。

(子どもによっては10歳くらいになって落ち着くことも見られますが、時が来ると別人のように落ち着くことが見られます。)

 

しかし、下の場合のように子どもがスマホ漬けになっていたり、親が子どもの言いなりになっている場合は、時間が経つにつれ判断力、思考力が低下し、ますます悪化していくことが見られます。 

これは、「子どもがやりたいようにさせてあげている」と親が愛しているようでも、子どもが求めている愛情ではないので、その不満がどんどん抑圧されて溜まっていくからだと言われています。

抑圧されて溜まったものは土砂となり、思春期には水槽に手を突っ込んで、沈殿している土砂や小石をひっかき回した状態になると言われています。

 

カール・メニンガーというアメリカの精神科医精神分析家の名言に「愛こそ妙薬」という言葉があります。

愛こそが最高の薬であり、栄養です。

 

とは言っても家庭で子どもと向き合っているとイライラすることもあると思いますし、ずっと愛で接することが難しいことも多いと思います。

大事なのは一人で抱えないことだと思います。

よい友人や信頼できる公共の機関なども利用しながら、苦しい人が抱え込まずに楽になることを願っています。

そして、よい繋がりが広がり、助け合いながら皆で子どもたちを愛で育てていける社会が広がることを願っています。

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すべてのことには時がある

保育の仕事の前、ぴよこは公共施設で事務や受付の仕事を五年間していました。

今回はその時の話を書こうと思います。

 

公共施設の仕事の前は保育の仕事をしていましたが、あらぬ誤解から年度途中で退職することになってしまいました。

元々年度末で退職することを考えていたので少し早くなっただけでしたが、誤解を受けたことがショックで、数日は落胆していました。

しかしずっと落胆しているわけにいかないので、転職活動を始めることにしました。

保育の仕事以外は考えていなかったので保育系で探していましたが、そんな折ある知り合いから公共施設の仕事を紹介されるようになりました。

「とりあえず見学だけでも…」と見学させてもらったところ、とても雰囲気がよくいい施設で「ここなら自分に投資することができそうだ」という感動を受けて、そこで働かせていただくようになりました。

 

私と入れ違いで退職する職員がいたのですが、その人と一ヶ月は在職期間が重なっていたのでその人が退職するまで細かく仕事の引継ぎをしてもらいました。

しかし、その人が退職してからもわからないことや確認すべきことは生じるので先輩に聞かないといけなくなったのですが、この先輩が面倒くさがりなのか何かを聞くとだいたい

「その辺にあるから自分で探して~」

「知らなーい。自分で考えて~」

と面倒くさそうに言われてしまうので、何か聞かなければいけない時は様子をうかがい、ビクビクしていました。

しかし、公共施設だったので毎日いろいろなお客様が来られ、接客はとても楽しくお客様には癒されていました。

 

そんなある時、教会の牧師さんとお話をする機会がありました。

「最近、仕事はどう?」と聞かれたので「もう辞めたいです」と正直に話したところ、ビックリした様子でしたが、聖書の話を引用しながら話してくださいました。

"天が下のすべての事には季節があり、

 すべてのわざには時がある。

 生るるに時があり、死ぬに時があり、

 植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

 ・・・

 愛するに時があり、憎むに時があり、

 戦うに時があり、和らぐに時がある。"

 (伝道の書 3章1~8節)

 

「退職するにも一番いい時があるから、一番いい時に次に進めるようにお祈りしてね」というアドバイスをいただきました。

ここでお祈りすることは決めましたが、保育の道に復職することも決意していたので「〇歳までには必ず復職する」という目標も設定しました。

 

それからお祈りしていると、しばらくして上司より

「あなたが真心を込めて接客する態度を評価した」と言っていただき、違う施設への異動が命じられました。

そこではとても自由に楽しく働かせていただくことができ、とても恵まれた環境でした。

そこで二年間働いた後、また元の施設に戻ることになりましたが、以前苦手だった先輩と入れ替えでの異動となり、またいい環境で働けるようになりました。

そこで二年間働いたのですが、目標として定めていた〇歳が近づいてきていました。

「いつが時なのだろうか?」と思いながら仕事を続けていたある時、自分の求めていた様々な条件に合った仕事の話が見つかり「今だ!」と強く感動を受けるようになりました。

 

そして〇歳になってすぐ、無事転職することができました。

保育の仕事を始めてから、公共施設での経験が役に立ったこともたくさんあり、本当に全てに時があり、全てに意味があるのだと感じさせられた経験でした。

様々な経験に感謝して、また次に進んでいきたいと思います。

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次のステップへ

今月は新しいことが始まったり、季節の変わり目で寒暖差があったりで疲れやすかったですが、そうこう言っているうちに六月も最終日を迎え、時の流れを感じています。

 

私は保育の仕事をしていた期間が一番長いですが、それ以外にも事務兼受付の仕事、販売の仕事をしていた時期がありました。

振り返ると、保育以外の仕事をしていた時は時間が過ぎるのがとても長く感じていました。

それだけゆったりした環境だったということですが、逆に保育の仕事は目まぐるしく、休憩時間もいろいろ作業に追われて過ごしていました。

 

そんな中で「これでいいのか?」と考えるようになりました。

「目の前の子ども達のことだけに追われている自分」を顧みて、視野が狭くなっていると感じました。

「この子たちが幸せに成長したとしても、世の中には病気の人、障害を持っている人、また虐待に遭っている人や貧困に苦しむ人など様々な人がたくさんいる。

自分が見ている世界は一部の光の世界に過ぎないけれど、どんな人も必要であり、助け合う社会を作っていくためにもっと視野を広げて考えないといけない。」

・・・と強く感動を覚えるようになりました。

 

そして決心して仕事を辞め、新しい資格の勉強を始めるようになりました。

障害児教育に関わる仕事も始めるようになりました。

 

今は世界の教育や心理学、犯罪心理など幅広く勉強しようと思っています。

新しい資格の勉強は課題が多く、またしても追われる日々ですが、新しい学びが多いのでとても新鮮です。

 

明日から七月に入りますが、勉強したこともブログで共有しながら今年の後半は知識も内面もレベルアップしていきたいと思っています♪

では今年の後半戦も頑張っていきましょう。

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「今」がそれぞれ完全体

保育士ぴよこです🐣

保育の仕事は外から見るとゆったり子ども達と遊んでいるように見えて、実はマルチタスクな仕事だなぁ、とよく感じます。

学生の頃、授業で「子どもを見る時は背中にも目をつけないといけない」と言われて「えぇーっ!」と思いましたが、保育の仕事を始めてから、この言葉の意味がよくわかるようになりました。

保育の仕事は、サッカーやバスケットボールの試合に似ていると感じます。

自分の後ろで攻撃されてしまうことがないように、自分が常に敵と味方とボールが見える位置に動かないといけない、この点がよく似ています。

「背中にも目をつける」ということは常に自分が全体を把握できる位置に動くこと、そして背後にもいつもアンテナを張っておくことだと保育士として長く働く中でわかるようになりました。

 

さて、私は元々マルチタスクのタイプではありませんでした。

一つのことを頼まれるとそれだけしか見えなくなってしまう人だったため、失敗は数知れません。

そして「私は一つのことだけをやるような仕事の方が向いてるんじゃないかな」と考えたこともたくさんありました。

 

しかし、保育の仕事をする中で、本来持っていた個性が開発され、マルチタスク能力が上がったと感じ、感謝しています。

そして、いろんなことを同時に見れるようになってから、子ども達の様々な個性や才能、発達段階についても余裕を持って見ることができるようになりました。

そして、それぞれの子どもの良さを見つけていけるようになりました。

 

ある保育士さんが「最近は子どもの成長を見る時、自分の理想像を100点にして、そこから足りないところを教育することが子育てだと思っている人も多い。でも子どもは欠如体ではない。子どもはその時その時が完全体だ。」と話していました。

まさにそうだと思っている言葉ですが、これは子どもだけではなく大人同士もこのような視点を持って関わることが大事だな、と思いました。

新入社員や後輩を指導する時「ここまでできるようになってほしい」という目標設定をすることは大事だと思います。

でも目標に対してできていないところを指摘するのではなく、できるようになった部分を認め合う社会になれば、もっとみんなが気持ちよく働けるのかな、と思いました。

 

私は一般企業のことはよくわかりませんが、少なくとも私はどんな人に対しても「その時精一杯頑張ってきた現状」を認めて、伸ばしてあげる人になりたいと思います。

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真実な心で

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雨が続いていますが、雨のおかげで植物や野菜が育ち、水は人体にも必要不可欠なので恵みの雨だと感じています。

 

さて、数年前に友人が「最近の野菜は食べやすいように品種改良されてるせいで味が薄くなって『水っけ野菜』とか言われてるのを聞いたんだけど、最近の子ども達は個性が薄くなって『水っけ子ども』だと思う」と言っていたのを思い出しました。

その時は移動中ですぐ目的地に着いたこともあり、この話はすぐ終わったのですが、それから時々このことについて考えていました。

最近の子どもは個性が薄いのか??

 

私なりに考えた答えは、最近はメディアが発達した影響で「本音を表に出さない」のが一般的になってしまっているのかな、と思いました。

でももし本当にそんな社会が一般的なのだとしたら、それはとても寂しいことだと感じます。

 

とは言う私自身も本音を表すことがとても苦手でした。

様々な過程の中で克服させてもらいましたが、今日は一つ演劇を通して克服させてもらったエピソードを書きたいと思います。

 

教会の中にセミプロの劇団を持っている方がいたのですが、その方がその劇団とは別に教会で「人材育成のためのアマチュア劇団」を作っていました。

自己表現できるようになりたかった私は、そこに入れてもらいました。

公演は年に数回、身内で小さな会場でする程度でしたが、練習は毎週あり、ストレッチや発声などと共にアドリブの寸劇を毎週やっていました。

アドリブなので自分が蓄えているものの中からしか、セリフを出すことができません。

この状況の中でたくさん鍛えられ、育てられました。

寸劇は二人一組で行ない、始めのセリフのみ決まっていて後は自分たちで起承転結を繋いでいくという状況でしたが、面白い作品が毎週たくさん生まれていました。

 

この劇団の指導者の方がよくおっしゃっていたことが

「真実な言葉だけが人を感動させる」

でした。

建前ではない本音の言葉、本心から出る言葉が人の心を打つのだということを、身をもってたくさん感じさせてもらいました。

 

今の世の中は情報社会、デジタル社会ですがいつの時代でも本音で、真実な心で人と人が関わっていくことが大事だと感じています。

そして、人の成長、発展には「感動」が必要だと感じています。

私自身もいつも「感動すること」を大事にし、いつも「真実な言葉」で人に接していきたいと思います。